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1975年(昭和50年)の1月のある日
この日は快晴。いつもの冬より暖かかった気がする。
カープ選手による野球教室が、
広島県賀茂郡○○中学校(現:東広島市)で開催された。
少年Aは朝からユニホームを着てワクワク、ドキドキしていた。
自宅から約10km程離れた会場には多くの少年野球の子供が集まっていた。
10:00ちょうど。笛の合図とともに集合の声がかかる。
司会者がカープの選手を紹介。
水沼四郎♯22
(このときはまだ2番手捕手。今のアツみたいな立ち位置)
三村敏之♯9
(内野手のち監督。セカンドの名手で足も速かった。
奥様は東広島市志和町出身)
渡辺弘基♯24
(サウスポーで、何せ牽制球がめちゃめちゃうまかった印象。色白)
そして、衣笠祥雄♯3
(市民球場で見るより、間近で見れば見るほど
「ゴリラ」に見えてしょうがない。
色は黒いわ、顔は濃いわ、髪は天然パーマでクルリンちょ、
胸板が厚くいつも肩が上がっているように見えた)
少年Aは小学校1年生、その他20人位で順番にノックを受けた。
ノッカーは三村選手。一人3球ぐらい受けた。
結構速かった。2回捕った。褒められた。
次はバッティング、ジュニア用の軽いやつ(自前)
硬球打ったらバットが凹んだ。構わず打った。
褒められた。でもバットが・・・。悲しかった。
次は走塁、ピッチャー渡辺選手の牽制球をかいくぐって盗塁せよとの厳命。
無理・・・。
ではお手本。三村選手どーぞ。すげぇー。
やっぱりかっこぇー。終わったらサインもらうけぇ。
衣笠選手はどこ?!関係者と談笑中?!
するとグランドをランニングとダッシュする姿が…。
汗がすごい。何で走っとるん?!
始まって1時間以上経っとるのに?!
わしらには教えてくれんのかの~。と少年Aは思った。
ちょっと残念な気持ちでいたが、
実は「教える側もちゃんと準備をせにゃーいけんのんで。
適当に教えてやっとったらそれで済むかもしれんが、
そのちびっ子が球場に来たとき適当に応援されたらいやじゃろ。
カープの火が消えることになりかねんけぇー。
たとえ野球教室でも真剣にならにゃーいけんのじゃ。大事なファンじゃけー」
と、衣笠選手があとから保護者にそう言ったらしい。
そして衣笠選手の守備、走塁、バッティングのデモンストレーション。
その後、参加者全員(小学校1年~6年生80名)一列に並んで素振り
(凹んだバットで)一人ひとりに声を掛けて手を添えて丁寧に教えてくれた。
めっちゃ緊張した。優しかった。褒められた。嬉しかった。やっぱり黒かった。
全選手のサインもらった。
小学校1年と2年生だけにはサインボールももらった。はず・・・。
この年、奇しくもカープ初優勝。
赤いヘルメット(赤ヘル旋風)が巻き起こり、
広島は歓喜の渦に包まれた。
衣笠祥雄さん、若干29歳でした・・・。
あの日からもう43年経ったんですね。
たくさんの感動をありがとうございました。
天国でゆっくり休んでください。
そして、今年こそカープが日本一になれるよう、
いつものように穏やかな顔で応援してて下さい。
合掌
私の相方が衣笠さんとの思い出を書きました。
心からご冥福をお祈りします。